Rootsわたしたちの原点
屋号に秘められた、鮮魚への情熱と家族の絆
プロローグ
日本の魚文化を守るため、鮮魚にこだわり誕生した「丸冨水産」。
そのブランド背景には、挑戦と気づき、そして店舗を育む共通マインドがあった。
日本の水産業界の悲惨な現状を打破したいという信念。
こだわり抜いた鮮魚への想い。
店舗で受け継がれる「家族」の関係値。
魚を扱う店ならではの困難や苦悩と、一筋縄ではいかない経営をどうやって乗り越え、今に至るのか。
また、未来には何を描いているのか。
ブランドの重要な一端を担う、丸冨水産の軌跡を辿る。
屋号に込めた想い
ラーメン屋「屯ちん」、大衆酒場「かぶら屋」と飲食業界で着実に成長を遂げていたfoodex groupは、新たな挑戦として「魚」の可能性に目を向けた。
かぶら屋での成功は、それまで捨てられていた豚モツのように見過ごされがちな食材の価値を再発見することから始まった。 この経験を経て、「魚」でも同じような状況が起きていると気づいたのだ。
日本全国で、味は全く落ちていないのにもかかわらず、規格外という理由だけでおいしい魚が大量に廃棄されている現実。サイズの大きすぎる魚が、加工のため無駄に端を切り落とされて使われるようなことも日常茶飯事だった。
この現状を打破するため、新しいブランドを立ち上げよう。そう考えた社長が、ふと思いだしたのは、幼少期の記憶。
社長の実家は鮮魚店だった。
父親は車で地域を周って、行商のような形で魚を売る毎日。
コツコツと続けていくうちに信頼を集め、地元の冠婚葬祭などの大きな行事でも自慢の魚を提供するようになった。
そんな父を家族総出で手伝うのが日課で、しばらくして父が病を患い働けなくなったあとも、皆で家業を支え続けた。
こうして大切に守り抜いた鮮魚店の屋号が、「丸冨」だったのだ。
会社はラーメン屋「屯ちん」としてスタートしたが、魚を中心に扱うブランドを作るのであれば、実家の想いをどうにか引き継げないか。そう考え、実家の「丸冨」という屋号を使った「丸冨水産」というブランド名に決めた。
この屋号には、実家の鮮魚店のように「おいしい魚をお客様に提供し、地域に愛される魚屋を目指す」という決意が込められているのだ。
地域の魚屋としてのスタート
まずは、かつての下町、神田に1店舗目をオープンさせた。
この地は開発が進む中、鮮魚を扱うお店がほとんど存在しなかった。魚屋が少ない理由は、鮮度を落とさず提供するには、専門的な知識や技術が必須となるからである。
そこで、街の魚屋という役割も担うために、魚を買いに来ることもでき、お店の中で飲食もできる新たなスタイルでお店を始めた。
オープン当初お客様からの注目を特に集めたのが、100円という破格の値段で提供していたマグロの中落ち。お客様自身がスプーンで骨の周りの身を削って食べる斬新なスタイルだった。通常は廃棄する部分を利用し、送料のみで仕入れることができていたため、この価格での提供が可能になっていた。
こうして、新鮮な魚を安く提供する丸冨水産のスタイルが徐々に浸透した一方で、店頭販売の魚の売れ行きはいまいちだった。一人暮らしのサラリーマンが多い街だったからか、魚を買って帰り、家で料理して食べる習慣がなかったのだろう。
そこで思い切って魚の販売はやめ、店内での飲食のみに絞ることに決めた。これが今も続く丸冨のスタイルとなっているが、神田店には1つの不幸が訪れることになる。
近くのビルで火災が発生し、神田店の入っているビルにも被害がでたことで、営業ができなくなってしまったのだ。神田は丸冨の事業として強く思い入れのある場所。非常に悔やまれたが、撤退を余儀なくされてしまった。
鮮魚を扱う苦悩、
そして信念
丸冨水産は、池袋、西荻窪、目黒に店舗を構え、池袋では鮮魚を食堂スタイルで提供する「丸冨食堂」というブランドも展開している。
人気がある一方で、なかなか次の店舗展開に動けていない理由が、鮮魚を扱うハードルが非常に高いことである。工場で加工してから店舗に配送することも検討したが、なかなかうまくいかなかった。そこで今は各店舗の責任者が、その日の新鮮でおいしい魚を吟味して仕入れ、店で一から捌いて提供する方法を採用している。
また、単に技術が必要なだけでなく、アニサキス、食中毒など様々なリスクもある。寄生虫は機械でのチェックだけではなく、長年培われてきた経験や感覚も大切になってくる。そのため、しっかりとお店を任せられる人材が必要なのだ。
現状、非常に属人的な側面が強いため、その日取れた鮮魚を扱う飲食店はそこまで多くない。冷凍によって季節に限らず一年中食べられる刺身などもあるが、それは丸冨水産がやりたいこととは違う。
鮮魚にこだわり、お客様に安心安全でおいしい魚を届けることを最優先に考える。開業当時からブレない信念を胸に、私たちは魚と向き合っているのだ。
店舗で育む「家族」のような関係性
丸冨水産では、「教育」や「指導」という表現を基本的には使わない。強いて言い表すとすれば、「育む」といったイメージに近い。新しくスタッフが入ってきたときも、部下というよりは、弟や妹のような存在に近い感覚を持っているからだ。
私たちの事業の裏には、単なるビジネス以上の、店舗ごとに育まれた「家族」のような強い結びつきがある。経営を軌道に乗せることができたのは、この関係性を丁寧に築いてきたからこそなのだ。
鮮魚を扱う業態は、より品質に気を配らなければならないため、「人」の専門的な知識や技術によって成り立っている部分が大きい。
だからこそ、雇う・雇われるといった形式的な繋がりではいけない。まだ鮮魚店だった頃の「丸冨」がそうであったように、家族のように一致団結して乗り越えていかなければならないと、私たちは考えている。
長年にわたり店長を務めるスタッフにも、自然とこの想いが浸透している。今では「丸冨水産」というブランドに愛着を持ち、屯ちんでもかぶら屋でもなく丸冨で働けているからfoodex groupにいる、というスタッフもいるほどだ。
次なる一歩とは
系列ブランドのかぶら屋は、自己資金0円からの開業システムを整えている。今後の「丸冨水産」も、かぶら屋と同様に独立を支援する体制を整えていく計画だ。
属人性が高い仕組みとなっていること、店舗スタッフが家族のような繋がりを持っていることから、チェーン店のような展開ではなく、店舗ごとに個人経営で成り立つ形を作っていくことに大きな意味がある。
そこで、規模の小さいお店で出店を進めていきたいと考えているのだが、最近の物価上昇が大きな障壁となっている。
小さなお店で経営を回していくにあたって、魚の原価が大幅に上がっている状況は向かい風と言わざるを得ない。世間で見ても、地域の安い寿司屋はどんどん数を減らし、生き残っているのは高級寿司店ばかりである。また、魚をメインでやりたいという人が少なく、2代目3代目が続かないのもこの業界の大きな課題である。
お店を任せられる人材が育たない要因は他にもある。例えば魚の捌き方1つをとっても、サイズによって扱いが変わるため、マニュアルなど型にはめた形で技術を教えることが難しいのだ。
そんな背景から丸冨水産では、技術をあれこれ教えるのではなく、どれだけ魚を好きになってもらえるか、私たちの経営方針に共感してくれるかが一番重要だと考えている。
まだまだ課題は多く残っているが、1人でも多くのお客様に新鮮でおいしい魚を届けるという魚屋としての原点は変わらない。
この想いを忘れることなく、これからも新たな可能性を模索し、信頼できる「家族」とともに、丸冨水産は前に進んでいく。