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Rootsわたしたちの原点

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歴史から紐解く、屯ちんのあるべき姿と進むべき道

 

プロローグ

foodex groupのブランドの原点、東京豚骨ラーメン「屯ちん」。

今や世界にその名を馳せるブランドとなったが、そこには一貫した哲学と柔軟な戦略があった。

売上が伸びても無闇に拡大せず虎視眈々と好機を狙い、ここぞという時にはしっかり力を発揮する。

原点を守りつつ、新たな挑戦に向け仲間と歩みを進める屯ちんの軌跡とは。

また、次なるページには何が記されるのか。

これは、ただのビジネスの成功譚ではなく、情熱と挑戦で紡がれた来世に繋ぐ物語である。

 

未知に挑む兄弟

屯ちん立ち上げ

1992年10月23日。

屯ちんの物語は、たった9坪の小さなラーメン屋から始まった。店を切り盛りしていたのは、運送屋のドライバーからラーメン屋を志した一人の男。後にfoodex groupの社長となるその男は、理想の味を求め、ラーメンで新たなチャンスを掴もうと奮闘していた。

外食業界の専門誌を参考に試行錯誤し、麺も自分で打った。しかし、飲食業界未経験の彼にとって、求める味の再現は容易ではない。現実は厳しく、夢は遠のくばかりだった。

そこで救世主となったのが、実の弟、後の副社長である。兄の苦悩を知り、東京で料理人として働く傍ら、店を手伝いに来るようになった。オープン直後は客足もまばらだったため、20時には店を閉め、他店のラーメンを食べ歩いては厨房に戻り、兄弟そろって味の追求に励んだ。

二人が目指したのは、端的に言うと、「豚骨と醤油の良さを融合させた、新しいスタイルのラーメン」。こってりしすぎず、かといってあっさりもしすぎない。食べ応えと食べやすさを兼ね備えた、一見無謀とも捉えられる新しい挑戦だった。

数ヶ月経って、少しずつ理想の味が再現できるようになってきた。しかし、質が安定しない。朝、昼、夜と時間帯によって味が変わってしまう。

お客様からは「この前は醤油っぽかったのに、今日は豚骨っぽいね」と、あり得ない感想をいただくこともあったほどだ。

 

哲学の誕生と発展

屯ちんのラーメン

朝まで試行錯誤を行い、店舗で仮眠をとって次の日を迎える毎日が約2ヶ月ほど続いた。

今となっては信じられないような状況だったが、若い男二人が一生懸命ラーメンを作る姿に心打たれたのか、ありがたいことに毎日来店するファンも現れた。

コアなお客さまに支えられ、過酷な日々を過ごした末に、ようやく誕生したラーメン。これこそが、屯ちんの「東京豚骨ラーメン」なのである。

ただ、問題はラーメンの味だけではなかった。

社長が飲食業未経験だったこともあって、工事を依頼した内装業者に中途半端な対応をされてしまい、厨房の環境は劣悪だった。空気の入れ替えが十分にできず、厨房は失神するほどの暑さ。開店30分後には意識が朦朧として、互いに水をかけ合って凌ぐようなこともあった。

このままでは続けられないと、味が決まりお客様も集まるようになってきたタイミングで移転を決意。こうして屯ちんは、現在池袋本店がある場所に移ることとなった。

移転後、人気はさらに爆発し、メディアにも取り上げられた。一日2000人ほどのお客様が訪れ、行列が絶えない日々。

しかし、人気が出過ぎると、皮肉や妬みも生まれる。「あの店は怪しい薬を使っている」などと、ありもしない噂をでっち上げられることすらあった。こんな状況で自分たちが天狗になっては地域の人々も離れてしまうと感じ、営業の合間に店舗の外を清掃したりと奉仕活動にも励んだ。

 

大切にすべきは「人」

屯ちんは売上が伸びてきた後も、店舗数を急激に増やすような拡大路線は取らず、会社の組織作りに注力してきた。

この考えを強く抱く要因となった出来事がある。それは、当時のラーメン事業としては考えられない額の初期投資をして、歌舞伎町のど真ん中に出店をした時のこと。

結果として、想定に比べ客足は伸びなかった。後にテレビに取り上げられたことで多少売上を伸ばすことはできたものの、大成功とは言えない状況。

また、無理に事業を拡大したせいで現場はまるで戦場と化していた。多忙で過酷な労働環境についていけず、人がバタバタとやめていったのである。

「こんな賭けのような形で続けていては、スタッフを不幸にするだけだ。」

現実を目の当たりにした二人は原点に立ち帰り、改めて屯ちんのビジョンについて語り合った。

お客様が「人」ならば、そこで働くスタッフもまた「人」。

今だけ高い給料を渡して満足してもらうことは簡単だが、それは一時しのぎに過ぎない。それよりも安定した組織体制や給料体系を組むことで、一般企業と同様に飲食事業でも産業化を進めていきたい。

この出来事は、飲食事業の経営において、一番大切なことを考え直すきっかけとなったのだった。

 

新世界で得たもの

屯ちんの海外進出

やがて屯ちんの物語は、国境を越え世界へとステージを広げる。

海外進出の背景には、2011年3月11日に発生した東日本大震災が大きく関わっている。この予期せぬ災害は、屯ちんにとって大きな転機となった。安泰と思われていた日本の未来に、不確実性を感じざるを得なかったからだ。

日本のみに依存しない、新たな土台の必要性を痛感し、まずは地理的に近い中国への進出を決意。その後アメリカ、さらにはタイへの進出にも成功した。

この過程で屯ちんが学んだことは多い。日本の食文化は世界基準であり、他国でも十分に戦えるということ、海外進出には信頼できる仲間の存在が不可欠であるということ。

そして、最大の学びは、現地の法律の理解が極めて重要だということである。国民性や文化の違いを理解することももちろん必要だが、法律の遵守ができていなければそもそも営業ができない。

この点タイでは、現地のパートナー企業と協力したおかげで、スムーズに店舗展開を進めることができた。

一方、アメリカでは現地のマーケティングを一から学び、手探りで食文化やスタイルの違いに対応しながら進めていったため、経営が軌道に乗るまでにとても時間がかかった。ただ、自力でも最終的にミシュランガイドの格付けのひとつ、ビブグルマンの獲得という明確な成果を上げられたことは、ブランドとして大きな自信に繋がっている。

 

そして未来へ

屯ちんののれん

国内外に着実に販路を広げ、近年はビジネスパートナーから声をかけていただく機会も増えた。しかし、屯ちんのラーメンは、味へのこだわりが非常に強く、技術の継承に時間がかかることに加え、品質を安定させることも簡単ではない。

そのため、ビジネスとして店舗展開を進めるという観点でみると、効率があまりよくないのが正直なところである。だからこそ引き続きブランド力を磨きつつ、我々のビジョンに心から賛同し、本当に信頼できる仲間とともに前に進んでいく。

近い将来、技術の進歩によって、味の再現が容易になる日が来るかもしれない。もしくは、ニューヨークでのレストランスタイルへの変更や、より回転率を求めたファストフードのような手軽さを取り入れるなど、少し形を変えることで、より多くの人々に屯ちんのラーメンを届けることが可能になるかもしれない。

そんなチャンスで力を発揮するためにも、まずはブランドの土台をしっかりと固めることを最優先に、屯ちんを愛してくださるお客様を大切にしながら、新たな飛躍の準備を整える。

そして、原点であるブランドの味を守りながら、信頼できる仲間とともに未来に向かって歩みを進める。ここまでは終わりなき旅の一節に過ぎない。屯ちんの飽くなき挑戦は、これからも続いていく。